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梨花の樹の下で

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わたしは、人の死にまともに直面したことがない。
人生の最も大事な局面、深刻な、影響を与えることに向き合ったことがない。
これは、ある意味、まったくシワのない、つるんつるんの脳をもっているのと同じかも知れない。
しかしながら、とりあえずは、肉親は亡くしている。
父方の祖母、父、母方の祖父、祖母。
この中で、祖父母は、わたしの年齢からみて、現在生きているとするとプリザーブド・フラワーの人間版で、
彼らは、とうの昔に、平均寿命を全うしてこの世を去った。
哀しいかといえば、90歳を軽く過ぎて枯れるように老衰で旅立った父方の祖母などは、
「おばあちゃん、おめでとう」という涙を流して喜んでくれる親戚さえいた。
悲痛な涙を流した人は、おそらく一人もいないのではないだろうか。
口数少なく働き者、優しい、穏やかな、芯の強い、明治の女性だった。
幼い頃、ずっと、忙しい母に代わって田舎でお世話になった。
この祖母には、晩年、一言だけ言われたことが印象に残る。
「選り好みせんと、ええかげんにしなさいよ」
これは、わたしが結婚適齢期の頃、わたしに相応しい相手に対してでも、なかなか首を縦に振らなかった時のこと。
自分の未熟さ故の行為であったと今は思う。
見てるとこは、見てるんやな~、おばあちゃん。
わたしの祖母は、大人しい控えめな性質であったが、夫の祖母は、凛とした理知的な人だった。
嫁いで、はじめてお目にかかったとき、
「ここをあなたの永遠の家だと思ったらいいんですよ。なんの遠慮もいりませんからね」と言われた。
こころ優しい、思いやりが綴られたお手紙も頂戴した。
それは、今も大事にとってある。
わたしの父方の祖母と、夫の祖母は、年齢的には一回りほど違い、わたしの祖母の方が年上である。
夫の祖母に、ご挨拶のようなものを言われたとき、わたしは「言葉って、すごいなあ」と思った。
明確に言葉にすると、気持ちや、考えが、はっきり伝わる。
まして、書いたものは、もっと明確に伝わる。
日頃、やたら口数の多い人もさることながら、めったに話さない人の一言というのも、効く。
わたしなど、考えずにしゃべっているので、
「で、なにが言いたいの? オチは、ないん?」などと娘に言われてしまう。
「オチは、話、ぜんぶやん!全体の流れで、最後のところあたりやん!」と、あきらかに苦しい言い訳をする。
・・・
死に面したことがない、という話から、テーマが「言葉」に移り変わっている。
すぐに脱線する。
・・・
で、わたしは死に面したことがないわけではなく、父も義父も、義祖母もあの世に行った。
何度も言うようだが、皆、平均寿命を全うしている。
さすがに、全員、老衰というわけにはいかなかったが。
もし、母や義母が、この先、この世にいなくなったとしても、これまた、今で、すでにもう平均寿命は過ぎているのでは旅遊顧問
だが、彼女たちには生きてもらわないと、困る。
二人とも、重要な役割がある紅葡萄酒
用のないお年寄りというわけには、いかない。
さすがに、寄る年波には勝てず、現役ばりばりの頃のようにはいかないが、要となる案件をいくつも抱えている。
世の中のヒマな、お迎えを待つばかりのお年寄りとは、ちょっと違う。
彼女たちは「はやく、引退させて欲しい」と嘆いてみせるが、ちょっとやそっとじゃ、引退しない心臟健康
が、明らかに、年齢的な衰えは避けて通れないようである。
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